戸田造船郷土資料博物館・駿河湾深海生物館

日露の協業で洋式帆船を造る

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参照(プチャーチンB)  参照(プチャーチンC)

 修善寺温泉から伊豆半島の西岸へ向かうルートを走り、急な斜面を降りると戸田(へだ)の町に着く。大古の爆裂火口の跡とされる戸田湾は三方を山で囲まれ、前面は砂觜(さし)が発達している。そのため湾内は駿河湾と隔てられ、波静かな水面になっている。

 ロシア海軍のプチャーチン提督は幕末1854年、日露和親条約の締結交渉のため、軍艦ディァナ号で下田へ来航した。ところが運悪く安政地震に遭遇し、大津波で乗艦が座礁して大破した。その修理のため戸田湾の入り口まで曳航したが、折からの強風で1200トンの大型帆船の曳航はうまく行かず、逆に流されて駿河湾の田子の浦沖で沈没してしまった。

 幸い、乗員586人は救助されたが帰る船がない。そのため彼らは戸田で約半年を暮らし、その間に幕府の援助と地元民の協力によって小型洋式帆船を建造した。これがわが国最初の洋式帆船で、100トンの戸田号だった。プチャーチンと一部の人は戸田号で帰国し、残りの乗組員も病没した一人を除き、他の船便を求めて無事帰国した。

 当時は大黒屋光太夫もすでに死去していたから、ロシア語を解する日本人は居らず、船の建造から乗組員の世話まで、大変な苦労をしたと記録されている。けれども洋式帆船の建造を体験したことは、造船技術者の養成という面でわが国に大きな幸運をもたらした。

 ちなみに家康の顧問格を勤めた英国人・三浦按針(みうら・あんじん 本名ウィリアム・アダムス)も1604年、現在の伊東市でオランダ船リーフデ号を参考にして、三本マストのサン・ヴェナ・ベンツーラ号を建造したが、やがて鎖国となり大船建造禁止令により、その建造技術や操船法は伝承しなかった。なおリーフデ号とは按針が航海士として乗組み、1600年に豊後に漂着した船である。

 「戸田(へだ)造船郷土資料博物館」にはその当時の記録やプチャーチン関係の資料が保存されている。ディアナ号の錨は近年引き上げられ、その一つは当館に展示されている。さらに当館には駿河湾にすむ足長の大きなタカアシガニなどの珍しい生物標本が展示され、それを飼育する「駿河湾深海生物館」も併設されている。深海魚300種、千点の展示は興味深い。

 なおプチャーチンは帰国後、再度来日し上記の条約を締結した。彼は後に海軍大将・文部大臣・政治顧問官などの要職を歴任した。彼の没後、1887年にはプチャーチンの娘で伯爵・皇后付き名誉女官のオルガ・プチャーチナがロシア軍艦で戸田を親善訪問し、現地に一泊している。

 後に彼女は遺言して多額の金品を救貧費として戸田へ贈っている。当館には彼女の身の回りの品も若干展示されている。戸田では現在でもロシアとの友好関係が続いており、プーチン大統領が訪日された時にも、プチャーチンの文書など遺品が当館に贈呈された。

 当館は戸田湾の砂觜の御浜岬先端部にあり、そこには天然記念物のイヌマキの林が広がり、夏にはハマユウの花も咲く。戸田町からは富士山が湾口に見える絶景が美しい。

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(作成日: 00/07/14、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

戸田(へた)造船郷土資料博物館・駿河湾深海生物館_静岡県沼津市戸田(へた) 2710-1_TEL/FAX 0558-94-2384_

伊豆急修善寺駅から約25km(W 17.0km),駅から東海バス戸田行きに乗り約60分戸田バス停で下車後徒歩約2.6km34分、または戸田バス停から土肥行きバスに乗り換えて7分「戸田国民宿舎」下車後徒歩10分、戸田からはタクシーもある。

駐車場 あり_中_大人_

9:00-16:30_

水曜日、祝日の翌日、年末年始_{17/07/25

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