両国花火資料館

一瞬の美を競う花火大会のルーツ

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参照(花火B)  参照(飢饉A)    

 今でこそ夏の納涼花火大会は全国各地で開催されるが、その発祥地は東京・両国の隅田川畔とされる。すなわち享保年間の1732年には全国的な大ききんが発生し、また江戸ではコレラが流行して、両方で非常に多くの人が亡くなった。その供養と悪疫退散祈願を兼ねて両国の大川(現在の隅田川)で幕府が水神祭を行った。

 翌1733年からは水神祭と同時に、花火を打上げた。その後、花火の打上げは大川の川開き行事として定着し、毎年旧暦5月28日に催された。それは戦争などで中断期間もあったものの、ともかく1961年まで続いた。それ以降は現場付近の交通渋滞対策のために廃止された。

 世界的に見れば、中国で発明された黒色火薬を、打上げ花火に利用することはイタリアのフィレンツェで始まり、15世紀にはヨーロッパ各地へ広まったという。日本にはポルトガル人やオランダ人がもたらしたと推定されているが、確かな記録はない。1613年、家康が駿府城で明人の花火実演を見物したがその最初の記録とされる。

 その後、打上げ花火は江戸にも広まり、1658年には鍵屋が江戸へ進出した。江戸後期には鍵屋と玉屋が両国で打上げを競った時期もあり、落語や浮世絵の素材として好んで使われた。もちろん当時の花火はいわゆる火炎色の単色であり、華やかな色彩の演出は19世紀になって、各種化学薬品が入手できるようになってからだ。

 1978年には両国の花火は場所をやや上流に移動して隅田川花火大会として復活した。現在、打上げ花火の製造には約140業者が携わっているそうだが、近隣への防災対策問題でも苦労が多いようだ。

 東京・両国の「両国花火資料館」はごくささやかな施設だが、花火玉やその内部の見えるカットモデル、打上げ筒や花火師の半天、関係古文書などを展示し、両国花火の歴史を紹介している。またビデオで各種花火の製造工程の解説もしている。

 当館はまだ小さな施設だが、少しずつ資料を収集し説明パネルも充実して行き、出来れば江戸時代からの花火にまつわる主要な出来事なども紹介すれば、物が物だけに興味深いものになるだろう。

 なお1732年と1733年に襲った享保の飢きんは近世の三大飢きんの一つに数えられる。それはトノサマバッタやウンカ・アブラムシ・メイチュウなど各種の害虫による虫害で、餓死者は約百万人に上ったとされる。

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(作成日: 01/10/26、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

両国花火資料館_東京都墨田区両国 2-10-8 住友不動産両国ビル1階(ビルの右脇を通り、横奥の入り口から入る)_TEL 03-3631-0028(墨田区観光協会両国観光案内所) ,03-5608-6951(墨田区観光協会)_

JR総武線両国駅西口から0.4km(15 0.3km)徒歩6分_小_大人_

開館日 木・金・土・日曜日

    (ただし78月は無休で毎日開館)

   

開館時間 12:00-16:00_

月・火・水曜日が休み、臨休あり_{17/04/05}