八王子市郷土資料館

武田の姫も関わった絹織物業

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 東京都の西端に位置する八王子市。この町は東京の衛星都市の中でも、町の様子にまだ独特の雰囲気を残している。それは他の新興都市と違い、長い町の歴史を持っていることも関係ありそうだ。「八王子市郷土資料館」はこの町のたどってきた歴史と民俗文化、及び地場産業などを紹介している。

 戦国時代、当地は後北条氏の領有する土地で、北条氏照が築いた八王子城の城下として発展した。江戸時代には幕府の直轄領となり、甲州口の要衝として、武田の旧臣を主軸とした千人同心が配置されていた。また甲州街道の宿場町となり、織物の生産と集散地としても繁盛した。

 八王子の織物産業の起源は、遠く鎌倉時代までさかのぼるという。幕末から明治初期にかけて、八王子は生糸の集散地となり、いわゆる絹の道の出発点にもなった。ここに集荷された生糸は、絹の道を通って横浜へ運ばれた。その後、関東平野の周辺部にある秩父・桐生・足利・結城などと共に、八王子は近年まで絹織物の町として栄えた。

 当館の規模は大きくないが、郷土館として町の歴史を紹介すると共に、市内の出土品や寄贈考古資料や古瓦、古文書や民俗資料、八王子城の発掘資料、織物資料や織機などを展示している。

 なお当館から少し歩いた所に信松院という寺がある。この寺は武田信玄の末娘・松姫が、武田家滅亡の直前にこの地へ二人の幼い姪を連れて脱出し、草庵を開いたのを始まりとする。

 彼女は織田信長の嫡子・信忠の婚約者であったが、双方の関係がやがて冷却化して輿入れには至らなかった。もっとも織田家の系図には信忠の正室として彼女の名前が記載されているという。

 武田家滅亡後、当地には彼女を頼って武田の旧臣やその家族が多数移住して来た。彼女はしっかりした人物で姪を養育しながら、彼らに機織りなどで生活できるように世話をし、また旧臣たちの心のより所になったと伝えられる。信松院殿月峯永琴大禅定尼という立派な法号はその人となりと生き方を表しているように思える。

 もっとも、機織りといっても、武田の姫君自身の知識や技量は趣味程度であっただろうが、その人脈を利用して甲州から技能者を呼び寄せたり、着る立場からデザイン上の助言をしたのだろう。

 当時は木綿でも貴重な時代で、絹織物を着られたのは特権階級に限られていたからだ。ちなみに当時の生活水準は、金回りのよい織田軍が兵に木綿衣を着せたのが評判になった時代だった。

 松姫は出家して信松尼となり、56才で亡くなった。晩年には姉の見性院(武田親類衆筆頭の穴山梅雪未亡人)と協力して二代将軍秀忠の庶子(後の保科正之)を預かり養育している。信松院には彼女の墓(写真参照)がある。

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(作成日: 00/01/24、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

八王子市郷土資料館_東京都八王子市上野町33_TEL 042-622-8939_

a)JR中央線八王子駅南口から1.4km(W 1.1km)徒歩19分、

b)JR八王子駅南口から東京家政学院行き京王バスで「上野町三丁目」下車後徒歩3分_中_

駐車場(郷土資料館南側) 18台あり_大人_

9:00-17:00_

月曜日(祝日に当たれば開館)、祝日の翌日、年末年始、展示替え・館内整理などの臨時休館あり_{16/09/09}