日比谷図書文化館

東京のど真ん中で東京を知る

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 東京都千代田区といえば日本の政治や行政の中心地だ。江戸時代も幕府はここに江戸城を築いて全国の大名を支配した。今では国会議事堂・総理府・最高裁判所をはじめ、多くの行政機関がここに集中している。また大企業の多くもその周辺に本社機能を置いている。

 これら政官民の大型建造物に囲まれた所に、旧江戸城遺構の一部も取り込む形で造園されたのが、広さ16万平方メーターの日比谷公園だ。公園は1903年開園の和洋折衷の造りで、噴水や池、花壇、樹木林や芝生、石垣や石組みなどを組み合わせた空間に、野外音楽堂・図書館・公会堂などが配置されている。

 この公園の全体的な眺めは、筆者の印象ではやや詰め過ぎと思えるが、地価の高い狭い土地を活用したのだから、やむをえないのだろう。ここにある図書館は設置されてから100余年の長い歴史を持っているが、始め東京市立、次いで東京都立として運営されてきた。その間、関東大震災や戦災を蒙り変遷を重ねてきた。

現在の建物は戦後に再建されたビルで、敷地の関係で上空から眺めれば珍しい正三角形になっている。都立図書館は2008年に千代田区へ移管された。その際、大幅な改造が行われ、従来の純粋な図書館から複合文化施設に変身して2011年に「千代田区立日比谷図書文化館」として再発足した。

すなわちこの施設は「都会のオアシスに、知の拠点」という考えに基づき、図書館と博物館、セミナー室やホールなどを併せ持つ文化施設になった。その博物館に関していえば、その前身は四番町歴史民俗資料館という小さな施設だった。

千代田区は政治・行政・経済の中心であると共に、さらに神田周辺は江戸時代から庶民の町・商業の町の伝統が続いている。従って史跡や歴史的対象も多数抱えている。それなのにこの区の文化施設はだめだと、筆者はかねて感じていたが、今回の日比谷公園への移転で、ようやく少しは形になったといえるだろう。

 前置きが長くなったが、当館の博物館としての基本テーマーは、「都市と環境・人  千代田にみる都市江戸・東京の成立と展開」である。常設展示は「発掘されたくらしと環境」、「日比谷入江と中世千代田」、「将軍の城づくり」、「江戸から東京へ」、「まちの歴史」などのコーナーで構成されている。

 これらの展示を見れば、現代の町しか知らない我々も、巨大都市の生い立ちと変遷を一応は理解できる。さらに詳しい情報を求める人は上層階の図書館で豊富な収蔵資料を調べ、不定期に開催される関係セミナーに参加すればよいという筋書だ。

 

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(作成日: 13/07/05, 更新日: )

 

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_駐車場_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

千代田区立 日比谷図書文化館_東京都千代田区日比谷公園1−4_Tel 03-3502-3340_

a)都営地下鉄三田線内幸町駅から徒歩3

b)東京メトロ千代田線・日比谷線・丸の内線霞ヶ関駅C4,B2出口から徒歩約5分

c)JR新橋駅から0.9km(28degs. 0.65km)徒歩約13分_

駐車場 当館にはないが日比谷公園内の日比谷駐車場(有料)あり_中_大人子供_

平日  10:00-22:00

土曜日 10:00-19:00

日曜日・祝日 10:00-17:00_

第3月曜日、年末年始(12/291/3)、特別整理期間_

図書館・レストラン・喫茶室・ミュージアムショップあり_{17/06/02}  

 

なお参考までに2011年秋に閉館して日比谷に移転した前身の旧四番町歴史民俗資料館の記事を添付しておく。その収蔵史料や関係文献などは日比谷へ継承されているからだ。

 

四番町歴史民俗資料館は小規模だが、その土地柄から独特の資料を収蔵している。面積の関係で展示替えもあり、その展示内容を一概にはいえないが、色々な職業に使う用具類や当時の生活用品の収蔵が多い。

 例えば羽子板屋の羽子板風の看板、弁当樽屋の樽型の看板、包丁屋の包丁型の看板などは珍しい。菓子屋・豆腐屋・呉服屋・糸屋・米屋などの用具、茶切手や米切手などのクーポン類などが並んでいる。

 この地域はまた江戸時代には大名屋敷が並んでいた所で、平河町や紀尾井町から出土したそれらの瓦や陶磁器も多数収蔵している。またここ四番町は盲目の国学者・塙保己一(はなわ・ほきのいち、ほきいちとも)が和学講談所(温故堂)を建て、和学の研究と教育をした所でもある。彼が活躍した年代は江戸後期で,伊能忠敬とほぼ同時代だった。

 当館で作者が最も興味を覚えるものは、江戸城の各地点の今昔を比較した写真パネルだ。例えば和田倉見附・虎の門見附・外桜田見附・日比谷見附・浅草橋見附、中の門・大手三ノ門、梅林坂・汐見坂などと、各見附・門・坂の今昔を比較している。

写真は展示面積不足のためか階段の壁に展示してあったが、1871(明治4)に政府の依頼で蜷川式胤(にながわ のりたね)・横山松三郎が64枚撮影し旧江戸城写真帖としたものだ。もちろん明治初期の撮影だから、城の各部分は痛ましいほどに荒廃しているが、場所柄にふさわしく興味い。