アド・ミュージアム東京、旧新橋停車場 鉄道歴史展示室

広告の歴史とその歩みを紹介

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 東京都心臨海部の汐留(しおどめ)にはかって東京の活動を支えた巨大な汐留貨物駅があった。さらにその元をたどれば、「汽笛一声新橋を…」と鉄道唱歌に歌われた新橋ステンショ跡地でもある。ここは今では再開発され汐留シオサイトと呼ばれる高層ビル街に生まれ変わった。そして新橋ステンショ駅舎も復元されている。(写真参照)

 この街には日本の広告業界最大手の電通と通信社やテレビ局などの情報関連企業が入居するオフィスビル、複合商業施設、ホテルや劇場などが集まる。その一角に「アド・ミュージアム東京」が開設された。当館は膨大な広告関係の資料を所蔵し、江戸時代から現代に至る広告の姿を時代順に紹介している。

 すなわち「華やかな江戸の広告」「文明開化と広告の近代化」「消費社会の進展と広告のモダニズム」「経済成長とマス・マーケッティングの発展」「トータルマーケッティングの進展と広告の新しい方向」「IT社会と広告の新領域の取組み」などのコーナーを設け、実物資料を展示しながらその歩みを説明している。

 世界的に見れば広告活動は古代エジプト時代から商業活動に伴って存在したといわれる。日本でも江戸時代中後期になると商業資本が成長し、全国の農村部までが商品経済に組み込まれ、江戸や大坂などの都市では町人文化が開花した。その旺盛な消費需要によって商業活動が活発化したから、当然広告活動も行なわれた。

 元禄時代には木版刷りの引札(ひきふだ)が使われ、「ひろめ」とか「しらせ」といって店名宣伝などに効果をあげたという。やがて木版多色刷りの浮世絵・錦絵が出現すると、その印刷技術は直ぐに広告に応用された。広告の対象は化粧品・薬・食品・呉服など時代を経ても大差ないが、引札や錦絵、うちわ絵などが広告媒体として使われた。

 明治になっても木版摺りの美しい錦絵や絵びらは活用されたが、やがて石版印刷や活版印刷の技術が導入され、より美しい、あるいはより鮮明な印刷物が速やかに作られるようになった。日刊新聞の発行や色刷り雑誌の創刊も相次ぎ、新しい広告媒体として急速に成長していった。福沢諭吉の近代広告論も広告の近代化に大きな影響を与えている。

 明治末から大正時代になると、従来の小売業とは異なった販売形式を採用した百貨店が現れた。そこでは「今日は帝劇、明日は三越」の名文句に代表されるように、憧れの生活や庶民の夢を暗示する広告が現れ、有産階級の消費意欲をかき立てた。

 やがて工業生産力の発展と共に大量生産・大量販売の時代がやってくる。このサイクルを継続させるためには大量消費の存在が欠かせない。広告業界はそのための先兵となって大衆の消費意欲の喚起に貢献した。いわゆるマス・マーケッティンクを担った。

 そして広告はマスコミ4媒体を駆使し、各種セールス・プロモーション手法と組み合わせたトータルマーケッティングとして総合化されていった。近年ではIT革命によって広告手段はさらに多様化し、経済のグローバル化によって複雑化している。

 しかしその一方で資源を浪費する同一製品の大量生産・大量消費方式はその限界も明らかとなってきた。代わって多品種少量生産方式が発展し、創造性を発揮した製品の継続的な開発の成否が製造業者の盛衰を決める時代となった。

 広告は社会的文化的経済的に大きな影響を及ぼす存在になったから、このような時勢になると、奇抜な内容で大衆の目を引く安っぽい広告だけでは意味がない。広告の質的内容にも大きな変革が迫られるし、広告の持つ多くの問題点も表面化しているので、その理念や社会的使命に関しても意識改革が必要だといわれる。

 ところで新橋ステンショと明治の人々に呼ばれた旧新橋停車場だが、この駅舎はお雇外国人が設計した木骨石貼り二階建ての立派な西洋館だった。その広さは延べ面積1300u余で、一本のプラットフォームが続いていた。

 1872年(明治5年)10月14日の新橋・横浜間鉄道の開業に先立って竣工した駅舎は、1914年に現在の東京駅が完成し供用されるまで東京の表玄関として機能した。その後この駅は汐留駅と改称され貨物専用の駅となって1923年の関東大震災で焼失するまで使われた。駅舎跡は後の貨物駅改修によってすべて姿を消していた。

 1986年には汐留駅が廃止され新しい街として再開発されることになった。それに先立つ発掘調査の結果、駅舎やプラットフォームの礎石部分、玄関階段の一部などが良好な姿で残っているのが確認され、国指定史跡「旧新橋停車場跡」となった。

 いまではその上に当時の駅舎が想定復元され、館内には小規模だが、「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」が設置されている。ここでは駅の歴史を紹介し出土品を展示すると共に、礎石部分を見られるようになっている。出土品は双頭レール・犬釘、鉄道ばさみ・手荷物引換証、車両銘板、汽車土瓶などで、この駅の古い歴史を示している。

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(作成日: 03/02/01 、 更新日:04/02/20)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

アド・ミュージアム東京_東京都港区東新橋 1-8-2 カレッタ汐留B1階_TEL 03-6218-2500_

a)都営地下鉄大江戸線汐留駅の新橋駅方面出口から徒歩約5分、

b)JR・東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線新橋駅から約5分(汐留ジオサイトの案内表示に従って歩行者通路を歩く)_中_大人_

11:0018;30(18:00) (火〜金)

11:0016:30(16:00)(土曜日)_

日曜日、月曜日、祝日、臨休あり_

なお併設の広告図書館は展示スペースとは開館時間が30分短いから注意_{17/01/08}

 

 

(公益財団法人)東日本鉄道文化財団 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室_東京都港区東新橋 1-5-3_TEL 03-3572-1872_

JR新橋駅銀座口から0.35km(銀座口からS70deg.E 0.3km)徒歩5分

東京メトロ銀座線新橋駅2番出口から徒歩3

都営地下鉄浅草線新橋駅汐留方面改札口からも徒歩3分

都営地下鉄大江戸線汐留駅「新橋駅方面改札」より徒歩3分_小_大人_

10:00-17:00_

月曜日(祝日に当たれば開館し、その翌火曜日休館)、年末年始(12/29-1/3)、展示替え期間や設備点検期間_{17/03/02}

 

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